世界は煩悩でできている

雑多なオタクの諸行無常日常ネタだよ

舞台「RED」観劇感想もろもろ

以前の記事からちょっと体調を崩してしまいまして、なかなか書くことができなかったんですけど、昨日田中哲司さんと小栗旬さんの舞台「RED」千秋楽に行ってきたので、感想をば!

※以降敬称略とします

 

 

もっと見たかったと思えた舞台

「RED」は実在した画家、マーク・ロスコを題材とした作品です。あらすじは多分検索したほうがわかりやすいので割愛しますが、ロスコ(田中哲司)に弟子入りしたケン(小栗旬)の二人だけが舞台には登場します。

正直、シスカンパニーの舞台ということもあってまわりは目の肥えた方ばかりのように感じたし、9月の中日に1回目を見に行ったときには、前半少し冗長に感じて私には難解に思えました。笑いどころも不可解なところがあったし。

もちろん後半になるにつれその世界が理解できて、ケン(小栗旬)の感情が迸るシーンは見ていて心をぐっと掴まれましたし、なによりロスコ(田中哲司)が圧倒的に『ロスコ』だったのが全編通して純粋に感動しました。

 

そして千秋楽。

ラッキーなことに、新国立の小劇場で後ろだとしても近いなと思える場所なのに、舞台にかなり近い席に座ることができ、役者の表情もつぶさに感じられる距離で見ることができました。

 

私は前知識を入れないで見たいと思っていたので、すごくざっくりしたあらすじ(ロスコの元に弟子入りしたケンとの話という風な)のみだったので、実際は違うかもしれませんが、この話は愛憎劇なんだなと思いました。

 

存在するもの全てに自分の考えた存在する理由があり、自分の世界だけで閉じてしまっていたロスコ。自分の世界しか信じることができないロスコの元へ、何も知らない若いケンがやってくる。

『老い』は新しいものを除外し、凝り固め、そこに縋っている自分さえ本当はみじめに感じていたのかもしれないけど、そのプライドが許さず、常になにかに葛藤することでかろうじて現実に留まっていたロスコの前に、若さと青臭さと無知で夢を抱きながらも傷を持っているケンが現れます。

ケンはまだ若く、知識もないけれど、心の根底にある暗い闇に必死で抵抗しながら、自分を確立しようとしてあがいている。ただの『従業員』のケンが、自らを見ようとしないロスコに苛立ち、怒りを感じて感情を爆発させたときに、本当はロスコはケンを羨ましく思っていたのではと感じました。

あえて見ようとしなかった。自分にはない可能性とその青臭い、でも若さや情熱という輝かしさを持っているケン。

本当は愛おしいと感じていたのかなと。ケンの持つ闇にも惹かれただろうしそれを暴いてさらけ出して欲しいと思っていたのかもしれない。

それと同時に憎いとも。だって自分にはもう手にすることができないものも持っていたから。

ケンはケンで、ロスコに自分のほうを見て欲しかった。先生となって、自分を導いて欲しいと思っていた。従業員として助手の仕事をしているうちに、成長し、ロスコを少しずつ理解し始め、だからこそ自分をもっと知って欲しいという欲求が出てきた。

ロスコの言う通り、父性も少なからず求めていたのかも知れません。

最終的にロスコはケンをクビにします。それは、自分のこの狭い世界しか見せないことよりももっと広い世界へ放ち、ケンに羽ばたいて欲しいと思ったからなのではないか。

それって愛じゃないか。愛があるこそ、そうすることを選んだロスコ。

最後にそれを理解して、頷いたケン。

 

これは私なりの見方で感想なので、本当は違うのかもしれませんが、老い行く画家と未来ある青年、二人の愛憎劇もしくは恋愛劇のようにも感じました。

 

激しく感情が迸るシーンとはまた別に、ロスコが絵にまた描き足そうと一人、薄暗い部屋の中で絵と向かいあうシーンがあります。

でもロスコは描けません。私には絶望しているように見えました。つんざくように響く音楽のなかで佇むロスコが哀しくてたまりませんでした。

そこにぱっと明るくなるようにケンが現れるのです。

私にはロスコの殻を打ち破ったような描写にも思えて、なんだか幸せでした。

 

雑多になってしまいましたが、以上です。

二人芝居って、本当に二人で作り上げなければならない芝居だから大変ですよね…。でも11月からは田中さんは志田未来ちゃんとの二人芝居があるそうで……。

うーん、行きたい!

 

MARK ROTHKO

MARK ROTHKO

 

 

現代アート、超入門! (集英社新書 484F)

現代アート、超入門! (集英社新書 484F)